CD佐藤です。
その傷跡未だ癒えず、福一廃炉のめどもつかないまま、10年が経った東日本大震災。
以前よりも街灯が少なくなった暗い夜道を歩くたびに、震災のことを思い出します。
3.11にブログを更新するのも何かの巡り合わせ。
途中まで能天気な街レポを書いていたのですが、急遽変更して、あの日自分がどうしていたのかを振り返りたいと思います。
2011.3.11
14:00
営業とともに、西日暮里で打ち合わせ。
今となってはなんの打ち合わせをしたのか、まったく覚えていない。
14:20
打ち合わせ終了。
帰り道、頭上を通る日暮里・舎人ライナーを見上げ、その高さとレールの頼りなさげさに、「乗ってる時に地震にあったら怖いなぁ」と思ったが、ほどなく、ニュースの映像で駅までレールの上を歩いているシーンを見ることになるとは思ってもいなかった。
14:35
JR西日暮里駅から、平日昼間につき、ガラガラの山手線に乗車。
田舎のチンピラみたいな若者が、同じ車両に乗っていたのを覚えている。
14:45
池袋駅到着。若者を含め、同じ車両に乗っていた人が全員降りる。
久々の池袋に、山手線の新宿→東京の北と南では、人の流れも客層もだいぶ違うと感じる。
発車のベルが鳴る・・・
14:46
東日本大震災発生
ホームに停車している電車に乗っていたので、あまり身の危険を感じることはなかったものの、かなりの揺れの大きさにさすがに焦り、座席の横のパイプを握って地震が終わるのを待つ。
発車のベルが鳴り終わり、揺れがおさまった後も、座席に座ったまま、運転再開を待つ。
15:30
全く発車する気配がないのでホームに出る。
運転再開の見込みが立たないというアナウンスが入る。
15:45
ホームから駅構内へ。駅構内の壁面に設置されていた大型のテレビモニターに映し出されたニュース速報で、津波でズタズタになった道路の様子を見て、ただ事ではないことを知る。
16:00
池袋駅周辺をうろうろするも運転再開の見込みが立たず、会社(大和市)、もしくは自宅(当時は座間市)へのアクセスを考え、小田急線が通る新宿まで歩くことに。
同じように考えた人が少なからずいるようで、新宿に向かう人の流れができる。
途中のコンビニはすべて閉店していた。
17:00
ヤマダ電気新宿店の大型ビジョンに、震災のニュースが流れている。
ディザスタームービーをはるかに超えた衝撃映像に、かえって現実味を感じられず。
新宿駅到着。小田急線の1階西口改札口へ向かう。
改札を入ったところで、運転再開待ちの人が大勢座っている。
携帯が全くつながらなかったので、改札右手にある公衆電話に並び、会社と自宅へ連絡後、運転再開を待つ人の列の最後尾に座る。
19:00頃
座間〜相武台前間で崖くずれのため、当日の復旧は無理というアナウンスが入り、駅構内から出て行くことを促される。
JRも当日の運行はなしというアナウンスが入る。
独り言のようにブツブツと文句を言っている人はいるものの、大きな騒ぎになることなく、行くあてもなく、それぞれが散り散りにJR・小田急新宿駅を去っていく。
20:00頃
少しでも自宅の近くまで行けたらと、京王線新宿駅に向かう。
改札前でしばらく待つが、こちらも運転再開の見込みはなさそう。
渋谷まで歩いて東急の再開を待ち、場合によっては246を徒歩で帰る覚悟を決めるが、
都庁に避難所が設けられているというアナウンスを聞き、都庁へ向かう。
渋谷→自宅間約32km、徒歩10時間超。
21:00頃
都庁到着。大勢の人がロビーに避難している。
床に敷くダンボールとブランケットが配られるが、子どもとお年寄り優先。
壁際に空きスペースを見つけ、とりあえずそこで朝を迎えることを決意。
テレビ局のカメラマンの後ろ姿を目の前に、壁に寄りかかって座る。
22:30頃
床が固くて眠るのしんどいなぁと思っていたところに、京王線が動き出したという情報が入り、とりあえず行ってみることにする。
駅に着くと運転再開のアナウンスがあり、ホームに止まっている電車に乗り込む。
2011.3.12
0:00頃
橋本駅着。橋本駅から自宅まで、歩いて帰るつもりでいたものの、着いた頃にはJR横浜線か相模線が動いていないかなぁと願いつつJRの改札に行くも、結局JRの再開はなし。
橋本→自宅間約15km、徒歩4.5時間超。消費カロリーおにぎり4個分。
途方に暮れつつ橋本駅を出ると、町田駅まで直行の、特別便のバスが止まっていたので乗り込む。
町田→自宅間約8km、徒歩約2.5時間。消費カロリーおにぎり2個分。
1:00頃
町田駅着。小田急線乗り場に行くと、相武台前まで運転を再開しているというアナウンスが入る。
ホームに行くと、ほどなく電車が到着。
1:30頃
自宅まで徒歩30分圏内の相武台駅前に到着。
2:00頃
都庁での一夜を覚悟していたものの、奇跡的に自宅到着。
テレビをつけると都庁に避難していた時の映像が流れるが、カメラマンの後ろにいたので映らず。
その後、通勤に使っていたJR相模線が電力供給不足のため2週間にわたって不通になり、その間やむなく車通勤となるも、電車通勤の1/3の時間で着く(1時間→20分に短縮)ため、震災前よりも朝がラクになる。
・・・あれから10年。
ポスト3.11の課題を解決する間もなく、新たな試練到来。
ポストコロナへの不安とともに、未だ起きていない関東大震災・東海地震への不安…
幼い頃から刷り込まれていたノストラダムスの大予言どおり、世紀末には地球が滅びると信じていたので、それに比べればよっぽど平和ではあると思うのですが、せめて花見くらいは、早く普通ににできるようになってもらいたいものです。
ちなみに、コロナ発生時期にUFOが頻発に発生していたらしい・・・(出典:ムー)