兼子拓也 – Takuya Kaneko
企画営業
生年月日/1991年4月8日
血液型/O型
特技/ギター
経歴
1991年4月8日、元気なかわいらしい僕が、やや金持ちの両親の元に爆誕。
福島県の小学校では、「夏休みにハワイに行った。」など両親の財力を誇示し、見事にクラスの頂点に上り詰める。
当時の口癖は「お菓子くれるなら、遊んでやってもいいよ?」という可愛らしい幼少期を過ごす。
12歳のころにタイに送還され、多感な中学時代をタイで過ごす。
スクールカースト最下層に叩き落され、改心。「誰とでもつるもう」と意を決する。
今まで嫌っていたいわゆる不良グループの下っ端として暗躍。全校集会で校長につるし上げられるまでにハツラツな少年に成長。
来日後、東京の高校に進学。刑務所のような高校生活を過ごす。
頭髪は短く、制服は着崩さず、異性との交際は禁止。
殆どを破ったが、「異性との交際は禁止」だけは遵守した、汚れなき3年間を謳歌。
3年間の刑務活動の末、「そこそこ頭がよくて、チャラチャラした大学に行きたい」と決意し、猛勉強の末、そこそこでチャラチャラした大学に進学。
チャラチャラ出来ず、勉強およびネットサーフィンなどの文化活動に専念する。
やや文化活動の比重が大きかったのか、大学5年生に進学。
この5年間も真面目に「異性との交際は禁止」を遵守し続ける。
服装を注意され、面接会場に忘れたコンビニで印刷した証明写真を社長にぶん投げられるという神面接の末、リベラルに入社。
お前は「三振かホームラン」という言葉を受け取る。
現在、ホームランの機会を今か今かと待ちわびながら、ベンチを温めている。